若い人たちへの年賀状と若い人たちへの年賀状(勝手に改訂)

藤原正彦の。既に消されていたけど探してたら別の箇所から見つかったからメモしておく。

 ■人類が誇れる文化生んだ日本
 ≪してはいけないこと≫
 新年おめでとう。君にとって、日本そして世界にとって、今年が昨年より少しでもよい年になるように祈っております。といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。
 君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています。外国人犯罪の激増もあり、世界で飛び抜けてよかった治安がここ10年ほどで一気に崩されてしまいました。
 道徳心の方も大分低下しました。君の生まれたころ、援助交際も電車内での化粧もありませんでした。他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい、などと考える人はいませんでした。
 道徳心の低下は若者だけではありません。金融がらみで、法律に触れないことなら何をしてもよい、という大人が多くなりました。人の心は金で買える、と公言するような人間すら出て、新時代の旗手として喝采(かっさい)を浴びました。法律には「嘘をついてはいけません」「卑怯(ひきょう)なことをしてはいけません」「年寄りや身体の不自由な人をいたわりなさい」「目上の人にきちんと挨拶(あいさつ)しなさい」などと書いてありません。「人ごみで咳(せき)やくしゃみをする時は口と鼻を覆いなさい」とも「満員電車で脚を組んだり足を投げ出してはいけません」もありません。すべて道徳なのです。人間のあらゆる行動を法律のみで規制することは原理的に不可能です。
 ≪心情で奮い立つ民族≫
 法律とは網のようなもので、どんなに網目を細かくしても必ず隙間があります。だから道徳があるのです。六法全書が厚く弁護士の多い国は恥ずべき国家であり、法律は最小限で、人々が道徳や倫理により自らの行動を自己規制する国が高尚な国なのです。わが国はもともとそのような国だったのです。
 君の生まれる前も学校でのいじめはありました。昔も今もこれからも、いじめたがる者といじめられやすい者はいるのです。世界中どこも同じです。しかたのないことです。
 でも君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした。生命の尊さを皆がわきまえていたからではありません。戦前、生命など吹けば飛ぶようなものでしたが、いじめで自殺する子供は皆無でした。
 いじめがあっても自殺に追いこむまでには発展しなかったのです。卑怯を憎むこころがあったからです。大勢で1人をいじめたり、6年生が1年生を殴ったり、男の子が女の子に手を上げる、などということはたとえあっても怒りにかられた一過性のものでした。ねちねち続ける者に対しては必ず「もうそれ位でいいじゃないか」の声が上がったからです。
 君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。会社への忠誠心とそれに引き換えに終身雇用というものがあったからです。不安なく穏やかな心で皆が頑張り繁栄を築いていたから、それに嫉妬(しっと)した世界から働き蜂(ばち)とかワーカホリックとか言われ続けていたのです。日本人は忠誠心や帰属意識、恩義などの心情で奮い立つ民族です。ここ10年余り、市場原理とかでこのような日本人の特性を忘れ、株主中心主義とか成果主義など論理一本槍(やり)の改革がなされてきましたから、経済回復さえままならないのです。
 ≪テレビ消し読書しよう≫
 なぜこのように何もかもうまくいかなくなったのでしょうか。日本人が祖国への誇りや自信を失ったからです。それらを失うと、自分たちの誇るべき特性や伝統を忘れ、他国のものを気軽にまねてしまうのです。
 君は学校で、戦前は侵略ばかりしていた恥ずかしい国だった、江戸時代は封建制の下で人々は抑圧されたからもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと、と習ってきましたね。誤りです。これを60年も続けてきましたから、今では祖国を恥じることが知的態度ということになりました。
 無論、歴史に恥ずべき部分があるのは、どの人間もどの国も同じです。しかしそんな部分ばかりを思いだしうなだれていては、未来を拓(ひら)く力は湧(わ)いてきません。そんな負け犬に魅力を感ずる人もいないでしょう。
 100年間世界一の経済繁栄を続けても祖国への真の誇りや自信は生まれてきません。テレビを消して読書に向かうことです。日本の生んだ物語、名作、詩歌などに触れ、独自の文化や芸術に接することです。人類の栄光といってよい上質な文化を生んできた先人や国に対して、敬意と誇りが湧いてくるはずです。君たちの父母や祖父母の果たせなかった、珠玉のような国家の再生は、君たちの双肩にかかっているのです。(ふじわら まさひこ=お茶の水女子大学教授)


対して

今さらあの品格爺様をけなしたところで、肥溜めに向かって「てめえはクソだ」となじるくらい意味がないと思ってスルーしていたけれど、やっぱりこういうせんずり文章を見るとムカムカしてしょうがないので内容を勝手にいじってみた。ふざけやがって。いつかきっと、でかいと勘違いしているてめえのナニを切り取って口に突っ込んで黙らせてやる。




若い人たちへのの年賀状(勝手に改訂)

■人類が誇れる文化を生んだ日本

 

 ≪してはいけないこと≫

 新年おめでとうございます。君にとって、日本そして世界にとって、今年が昨年より少しでもよい年になるように祈っております。といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。

 君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっているとよく言われますが、今は学園紛争も暴動もハイジャックも爆弾テロもなく、危険な繁華街もどんどん消え、飲酒運転も激減しているというのに、テレビばかり見ている頭の悪い大人が治安悪化と勝手に嘆いて君の存在と社会を否定します。見知らぬ土地で起きた事件に勝手にびびって、世界で飛び抜けてよかった治安がここ10年ほどで一気に崩されてしまいましたとやすやすと断言してきます。

 道徳心の方も大分低下したと老人達は道徳と憎悪を履き違えたまま語ります。君が生まれたころは、援助交際も電車内での化粧もなかったかもしれませんが、愛人バンクという売春クラブが流行ってましたし、電車はヤンキー集団が一両丸ごと占領していたりして、化粧どころか一般人は乗ることさえできませんでした。70年代の新宿などの繁華街はトルエン睡眠薬ばかりやってるラリ公ばかりで、80年代はバブル経済の恩恵を受けた景気のいいヤクザが町を堂々と闊歩してました。タクシーの運ちゃんまでもが勘違いして、乗車拒否などやりたい放題でした。他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい、などと考える人は今も昔もそんなにいないと思いますが、昔は丸の内を爆弾で吹っ飛ばしたり、イスラエル自動小銃を乱射して何十人も射殺してました。それに比べれば、ホリエモンみたいな小悪党が決算ごまかすとか、計画性のない勢いだけの殺人とか鼻くそみたいな犯罪ばかりで今は全然つまんないというのが本音です。

 道徳心の低さは昔と今もどっこいどっこいです。金融がらみで、法律に触れないことなら何をしてもよい、という大人はいつの時代にもいます。戦前にだって山ほどいました。戦争成金などは灯りを得るためにお札を燃やすなんて風刺画にされるくらい景気がよかったし、反対勢力の共産党の幹部にだって、ソ連の金で芸者とどんちゃん騒ぎをして捕まるお調子者や、痴情のもつれで仲間を売ったりと醜悪な話はいくらでもあります。昔も今もみんなお金が大好きだし、下半身関係のゆるい話はいくらでもあるので、都合のいいことを語る老人の言葉を疑いましょう。人の心は金で買える、と公言するような人間すら出て、新時代の旗手として喝采(かっさい)を浴びたと老人達はホリエモン村上ファンドなんてつまんないものを槍玉に挙げて、わあわあとやかましいのですが、「おれ達はやりたいことをやる!」と若者が好き勝手に暴れたり、セックスしたり、金持ちのボンボンとして青春を謳歌したり、遊び半分で障害者をリンチして殺したりする小説を書いた人が今ではスパルタ教育を訴え、偉そうに都知事として君臨しているのを考えれば、世の中というものが実に適当に動いているのだということがわかると思います。法律には「嘘をついてはいけません」「卑怯(ひきょう)なことをしてはいけません」「年寄りや身体の不自由な人をいたわりなさい」「目上の人にきちんと挨拶(あいさつ)しなさい」などと書いてありません。「人ごみで咳(せき)やくしゃみをする時は口と鼻を覆いなさい」とも「満員電車で脚を組んだり足を投げ出してはいけません」もありません。すべては道徳なのですが、その人生の先輩達もそうした道徳を大して守ってはいないうえに、団塊世代などはそうした道徳を堂々と否定して警官ぶん殴って、大学の授業をめちゃくちゃにして、同棲してセックスばかりしていたクチなので適当に聞き逃しておくのが得策でしょう。

 

≪心情なんかで腹はふくれない≫

 

 法律とは網のようなもので、どんなに網目を細かくしても必ず隙間があります。だから道徳があるのです。六法全書が厚く弁護士の多い国は恥ずべき国家であり、法律は最小限で、人々が道徳や倫理により自らの行動を自己規制する国が高尚な国なのです。わが国はもともとそのような国だったのです……という大嘘は絶対に信じないようにしましょう。昔のわが国というと、やたらと武士の倫理観を持ち出す人がいますが、どうして武士なるごくわずかの支配階層のことばかり取り上げるのかが不思議です。当時の国民の大半は百姓でした。その百姓は年貢と五人組という極端に抑圧された掟に縛られて過ごして食うや食わずの生活を強いられました。明治になっても状況は変わりはありません。大正になって、デモクラシーが芽生えましたが治安維持法、そして昭和になってからは国家総動員法という超すごい法律もあったので、そう言う意味ではわが国が高尚だった時期など一度としてあったのか疑問です。これを鵜呑みにしても、身につくのは奴隷根性だけなので、その穴だらけな論理には常に反論するように心がけたいものです。

 君の生まれる前も学校でのいじめはありました。昔も今もこれからも、いじめたがる者といじめられやすい者はいるのです。世界中どこも同じです。けれどしかたのないことだとは思いません。君の生まれたころ、いじめによる自殺はもうがんがんありました。80年には受験ノイローゼによる両親をバットで叩き殺し、20年前の86年に「このままじゃ生き地獄になっちゃうよ」という遺書を残して少年が自殺して、今と同じようにいじめ問題が起きたのですが老人達はもう忘れたようです。戦前、いじめで自殺する子供は学校では皆無だったなんて気分で物を言うのも大概にしろと言いたいのですが、学校で仮に自殺がなかったとしても、日本の軍隊のいじめのむごたらしさは想像を絶するものでした。徴兵を逃れるために醤油を飲んで身体をわざと壊したり、古参兵のいじめに耐えかねて狂ったり、自殺したり、事故と称する何かで死んだりと、今の学校よりも超ハードで陰惨でした。いじめがあっても怒りにかられた一過性のもので、ねちねち続ける者に対しては必ず「もうそれ位でいいじゃないか」の声が上がるということは全然なくて、戦後は内ゲバで頭を割られて群馬の山に埋められたり、戦前は上官に気に入られなかっただけで最前線に送られて死の行進をさせられたり、炭鉱や遊郭から逃げ出そうものなら半殺しにされたり、昼夜問わずにぶっ続けで工場で働かされ、結核にかかって汚い女工部屋で血を吐いて死んだり、農作物の取れない東北ではがんがん間引きや姥捨てをしてました。こういうのはいじめとは確かに言わないのかも知れませんが、「三丁目の夕日」やラーメン博物館並みの安いノスタルジックな気分に浸って、ブッシュ政権並みに都合のいい真実を作り上げる老人達には言葉ではなくて拳で答えてあげましょう。

 

 君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。会社への忠誠心とそれに引き換えに終身雇用というものがあって、皆が頑張り繁栄を築いていたから、それに嫉妬(しっと)した世界から働き蜂(ばち)とかワーカホリックとか言われ続けていたのは事実です。日本人は忠誠心や帰属意識、恩義などの心情で(気の毒なほど)奮い立つ民族です。ここ10年余り、市場原理とかでこのような日本人の特性を忘れ、株主中心主義とか成果主義など論理一本槍(やり)の改革がなされてきましたから、経済回復さえままならないからといって、忠誠心だの帰属意識だのといったお題目に従うことは新自由主義者どもを付け上がらせるばかりだし、夢だの誇りだのという腹の膨れない観念しか今の政府や会社は与えてくれないので、そうした説教には「がたがた言わずに金をよこせ」と答えるようにしましょう。「振り込んで」でもいいんじゃないですか。

 

≪テレビ消し読書しよう≫

  

 何もかもうまくいかなくなった。日本人が祖国への誇りや自信を失ったから自分たちの誇るべき特性や伝統を忘れ、他国のものを気軽にまねてしまう。などと老人は嘆きがちですが、他国のものを気軽にまねをして日本独自のものに作り変えるのが日本人の真の誇るべき特性です。そもそも今の老人だって漢文なんか書けないでしょう。口語体の文章に慣れ親しんで、150年前程度の文章なんて読み書きすらできないくせにでかい面をしているのです。

 

 君は学校で、戦前は侵略ばかりしていた恥ずかしい国だった、江戸時代は封建制の下で人々は抑圧されたからもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと、と習ってきましたね。正解でもあり、誤りでもあります。祖国を恥じることが知的態度というのは確かに勘違いですが、むやみやたらと賞賛するほど立派なものばかりでもありません。歴史に恥ずべき部分があるのは、どの人間もどの国も同じです。だから「自分達はこんなに素晴らしい」とナルシシズムにひたる人間も充分に気持ちが悪いのでバランス取りに気をつけたいものです。

 100年間世界一の経済繁栄を続けても祖国への真の誇りや自信は生まれてきません。テレビを消して読書に向かうことです。日本の生んだ物語、名作、詩歌などに触れるのと同じくらいにアメリカやヨーロッパやアジアやイスラム圏の物語、名作、詩歌も素晴らしいものです。英国に留学した夏目漱石や、イヤミ氏みたいにフランスびいきの永井荷風は美しい漢文の書き手でもありました。外国を知っているからこそ日本の美しさには敏感だったと言えます。先人や国に対して、敬意と誇りを抱くことは大切ですが、自分で自分を素晴らしいと自画自賛を惜しまない連中を軽蔑するだけの主体性を身につけていただきたいものです。君たちの父母や祖父母の果たせなかった珠玉のような国家の再生は、君たちの双肩にかかっているのですと言うわりには、いつまで経っても隠居せずにやかましくがなる元気のいい老人達をまずは黙らせてから話は始まるのです。

(ふじわら まさひこ=お茶の水女子大学教授より、「てめえ達ばかり愉しんで、ろくな世の中を残さなかった爺達をぶん殴ってふん縛って今を愉しめ!」と説法するのさかあきゆき=作家みたいな度量の大きい先人ばかりだと世の中もう少し楽になるのだけれど)

深町秋生のベテラン日記
2007-01-11 若い人たちへの年賀状(を勝手に改訂)』
より。

夕食にハンバーグとチキンスープ作って食った。
腕立て伏せ90回と腹筋30回をやり、豆乳とビタミン剤飲んでたらクリスマスが襲ってきたので目をつぶって寝た。