大学の講義用テキストは高すぎる、講義用テキストのオープンソース化が進行(参照)

オープンソースはどうでもいいんだけど、大学を卒業して、まだたった24年間しか生きてないけど思うことあったので書いてみる。

うん、ハッキリ言って高いんだよ、大学のテキストって。
でもそれ以上に日本の大学で大部分でまかり通っているのが

「授業担当教授が自分のテキストを買わせる」

というまったくもって理解に苦しむシステムなんだ。

来年から大学に入る人は自分の頭を使ってよーーく考えたほうがいい。

僕はちょっと賢いチンパンジーに余裕で負けるくらいのオバカさんだった。だから大学1年のときは生まれたばかりの雛鳥が初めて見たものを親だと思うように、見ず知らずのジジイが書いた書物を大量に購入した。でもそんな若年性痴呆症の僕でさえ、半年もたたずに気づいた。

「あぁ、これ必要ねーわ」ってテキストがたくさんあることに。
もちろんこれは僕が大学で講義を聞いたり、Webで情報収集したりして主観的に判断した結果だから回りの人がどう思ってるかわからない。でも僕はそう気づいちゃったんだな。

気づいたときから大きめの書店に通い、Webで情報収集したりして、総合的に見てそれぞれの科目(分野)ごとに自分がイイと思った本を買った。せっかく4月にウン万円(全科目買えばこれくらいワケない)使って購入したのにムダじゃね? とか思う人もいるかもしれないけど、決してそんなことはない。

もしその「使えない」って思うテキストを使ったまんま勉強してたとしよう。何か難題に直面し、オセロで言ったら4つ角全部取られたような状況になったとしよう。そういった状況で「このテキストのせいだ」とか「こんなクソテキスト買わせるようなヤツの問題なんて別に解けなくてもいいべ」とかなっちゃうかもしれないじゃん。

・ダメだ

・思考停止

・単位落とす

・留年

・退学

孤独死

という金色の方程式が成立する可能性もある(多分ない)。

特に僕は意思薄弱の代名詞と近所じゃ評判だったので、モチベーションをあげるためにもほとんど全科目のテキストを買いなおした。これは

損得勘定の定石を知る「定量分析実践講座」(参照)で言われていることと似ている。

自分がダメだと思ったテキスト(4万円)を放棄し、
自分が良いと思ったテキスト(3万円)を購入する。

ということは4万円をドブに捨てることと決して同義ではないと思うんだ。金なんて遊ぶ時間を少し減らしてバイトでもすれば手に入るじゃん。

勉強ってのは自己投資だ。いい教育には当然それなりの金がかかる。でも、もし、たった数万円の投資をするだけで、勉強に対するモチベーションをあげることができるなら、当然そっちを選択するべきだと思う。それが間違っていたとしても(若年者の主張する内容は往々にして間違っていることが多い)、そういうことを自分の頭で考え、主張するということ自体は正しいことのように僕は思っている。

ただ一概に講義担当の教授が書いたテキストがダメだとは言わない。でも愚直なまでにそれを鵜呑みにすることが良いとも思えない。もし自分が使ってるテキストの内容が、教授様推薦のテキストのそれと違っていても臆することなんて無い。試験でその差異の部分が出たとしても臆することなく自分が勉強したほうを書いていいんだよ。もしそれで単位を落とされるようなことがあっても心配することはない。

大学には単位について学生から抗議できるという素晴らしいシステムが存在する。自分が使っているテキストを持って教授様が大仏みたいに鎮座している研究室に向かい(無論それなりの準備をしてね)食ってかかってやれ*1

教壇に立ったジジイがムニャムニャとオススメしてたテキストと同じものなんて、大学の図書館に行けばおそらくある。それもほとんど手付かずの状態であったりするよ。それらを見てから自分で決めてもいいだろう。マンモス大学(死語か?)は学生の数も多いからとりわけ気をつけたほうがいいかも。

 日本の有名大学の場合、大学の講義用テキストブックは講義を担当する教師が印税などの収入目的から自分自身の著作物をわざと買わせる場合も多い。果たして、このオープンソースの流れ、保守的な日本の大学では受け入れられるだろうか?

講義に出てる学生が買ったくらいじゃ印税ってたいしたことないみたいなんだけどね。やっぱり自分(もしくは親)が汗水たらして働いたお金だし、その用途くらい自分で決めてもいいだろ。単位なんて落とさないから心配するなって。

こういうの久しぶりだったからいったい何が書きたかったのかよくわからなくなってきたけど、とりあえず今日はここまで。また続き書くかも。

*1:ここは慎重すぎるほど慎重に、入念過ぎるほど入念にな