卵が好きだ。卵焼きも好きだし、牛丼にかける生卵も好き。もちろん卵かけご飯も大好きだ。その中でもゆで卵に目がない。僕はゆで卵に狂ってる。中学生男子がエロ本に狂うように僕はゆで卵に狂っている。

中学のときは弁当に必ずゆで卵を入れてもらってたし、最近では腹が減ったらゆで卵を食らい、塩をなめて飢えを凌いでる。僕にとってゆで卵はアダルトヴィデオと並んで生活に欠かせないものとなっている。僕のライフスタイルはゆで卵無しには語れない。

しかし、そんなゆで卵に世間は冷たい。いつの頃からだろうか。健康ブームが訪れ、卵の黄身は悪玉コレステロールがあるだの、太るだの、体によくないだのと、難癖をつけては卵を弾劾しやがる。先日ある友人に「我が輩は堀北真希が好きなり」といったところ「どこが可愛いのかわからん」と一切の議論を許さない勢いで全否定されたときくらい腹が立つ。

ニワトリさんが一生懸命に「コーッ!!」と産み落とした生命の結晶、卵を有害物質扱いしやがるんだ。

なぁ、いい加減そうやってネガティブなことを誰かのせいにするのはやめにしないか。

しかしメディアは更に追い打ちをかけて世間をマインドコントロールしやがる。卵は白身だけ食べるのが健康にイイでしょう、とか抜かし出したんだ。冗談じゃない。まるでパズルのピースが一つ足りないだけでそれは総体として意味をなさないように、白身だけの卵は存在しない。それは既に卵ですらないのだから。

ある有名な探偵の言葉を借りよう。

「真実はいつも一つ!」

そう。卵が健康にいいかなんてハッキリ言ってどうでもいい。自分が卵を愛しているかどうか。それが一番大事なんだ。卵が卵であるがためには白身と黄身がなくてはならない。世界の中心で愛なんて叫ぶ必要はどこにもない。それよりも大事なことは台所で卵をムリムリと茹でることだ。

僕は白身だけを食べるなんて情けないことはしない。僕は卵が好きであり、卵の白身と黄身がかもしだす極上のテイストはピッタリと息の合ったケミストリーのユニゾンのようだ。

卵は黄身があってこそのもの。白身は黄身を引き立てているだけに過ぎない。黄金色に輝く金塊のように僕を惹き付けるその丸みをおびた芳醇なバディ。溶岩のようにアツい情熱をたぎらせるとろみ。表面はしっかり固め、中はとろとろ。

素晴らしい! 嗚呼! なんて素晴らしいんだ! 僕は完全に黄身に心を奪われてしまった! 叶わぬ恋だってわかってる! わかってるんだ! でも黄身を愛してしまった。察してくれよ! わかってんだろ? 俺の気持ちに気づいてるんだろ?

僕にはもう、黄身しか見えない。黄身がいなくちゃダメなんだ!

と、このように人間と卵の黄身との恋は決して叶わぬものであります。